が たん ごと ん が たん ごと ん

August 9, 2024, 5:02 pm
!乗っているのは電車でも、気分はもはやパイレーツでした。海賊船で大海原に出たような気分になるのです。勝った。俺(船長)は、社会のつくり出す"お金を稼がないと生きられないよ幻想"に勝ったのだ。海には道なんか敷かれていねえ、舵を取るのは俺だ!そんなことを思って恍惚としつつ、同時になにかに対して恐ろしく負け犬であることを知っていて、勝利のファンファーレを聴きながら、徹底的な不戦敗感を味わっていました。 瞬間瞬間を生きることを、もしも管理をしながら、計画をしながら、組織に所属しながらやれるのだとしたら、それは素晴らしいことだと思います。でも、我らのようにそれをしながらだと難しくなってしまう人種にとっては、管理・計画・組織というのが尾崎豊にとっての学校のように不自由に感じられすぎてしまうため、それが拘束具となって、ある種のSMプレイになってしまいます。楽しめる人をすげえと思います。でも、たとえば「ああ海に行きたい!

「嫁さんからの頼まれごと」コロたんのブログ | クルマは楽しくなくっちゃね...♪ - みんカラ

圭吾さんの記事へのお返事です。 圭吾さん、おはようございます!素早いお返事ありがとうございました!お知らせを見て目を疑いました!もちろんこれからゆったりとお好きなペースで書いていただければ幸いなのですが、今回はこんなサプライズのブーメラン返信をいただいてめちゃくちゃ嬉しいです。ありがとうございます! 壇珠さんとの往復書簡が再開されて、とても大切なことを思い出しました。それは「これだけは書いちゃダメだよなって思うことこそ、書け」という、タブーに挑むマインドです。油断をしていると自分を綺麗に見せようとする自分が登場するのですが、魂は露出狂であるということを思い出しました。魂は綺麗に見せることを求めていません。外側に出すことを求めています。 ぬぉあああ~!きたぜェそうだったァこれだったじゃねェかァ~!!と思いました!われらのコアはこれでしたね!いつも、誰にも頼まれてなんかいないのに、勝手に先に裸になって、先に傷つき、先に血を流したいと思ってしまう愚かな俺たちでしたね!!おっしゃ~俺もちょっとなまり腐っていた気がするので、ここらでバシッと恥をさらすなり傷をさらすなりしていきたいと思います!!思い出させてくださりありがとうございます!!押忍!!

高知のうなぎ料理店「鰻炭」 - うなぎ料理店

Date: 2021年07月18日 抽出レス数: 31 画像数: 1 1: はじめのつらたんニュースさん 2021/07/17(土) 13:08 ID: ・1回300円 ・30分に一回清掃 ・クーラーガンガン ・石鹸とかも高級ブランドものを使用 113: つらたんニュースさん 2021/07/17(土) 13:21 ID: 126: つらたんニュースさん 2021/07/17(土) 13:22 ID: 2: つらたんニュースさん 2021/07/17(土) 13:09 ID: 常に清掃中やんけ 3: はじめのつらたんニュースさん 2021/07/17(土) 13:09 ID: 4: つらたんニュースさん 2021/07/17(土) 13:09 ID: 店みたいな感じで出店すんの?

スプラ2 デュアルスイーパーカスタム(デュアカス)の解説①(各ウェポン編)|ひめたん|Note

!」という気持ちになり、黒歴史に対してむしろ積極性が出てきてしまいます。だから、それはもはや黒歴史とも言えない勢いです。なぜなら、たとえ周りから見たら漆黒の歴史だとしても、自分たちにとっては面白かった時点で輝かしき白歴史と認識されるだろうからです。結局、自分で何色だと思うかということがすべてなのだと思います。 書いていて気がつきましたが、お前とは絶対に黒歴史なんか作りたくねえと感じるやつは、そいつと一緒に白歴史も作りたくありません。逆に、黒歴史を作るのすら楽しそうだと感じる圭吾さんとは、共に真っ白な白歴史を作っても超絶嬉しいだろうという気がします。もう結局、歴史の色なんかどうでもいいのでしょうね。色なんかにこだわってっからケチ臭くなるんですよね。いけねえいけねえ。一緒に歴史作りてえと思う相手なら、その歴史の色が白だろうが黒だろうが赤だろうがお花畑色だろうがどどめ色だろうが、なんだっていい。逆に、嫌なやつとは黄金色の歴史だろうともお断りです。フルカラーで歴史づくりを楽しめる間柄って、真に素晴らしいものですね! 私は昔から「管理をする」「計画を立てる」「組織に入る」ということが無理な人間でして、勝手に壇珠さんも同じ人種として括ってしまっちゃうのですが、瞬間瞬間を生きるためには管理も計画も組織もへったくれもありゃしねえ、などと思ってしまう自分がいるのです。壇珠さんはこの辺りどのように思いますか!? まさしく自分も、「管理をする」「計画を立てる」「組織に入る」という人間社会を生きるための三種の神器を、ぜんぶもつことのできなかった側の人間です。それらのフィールドにおいて、ことごとく無得点の、ぶっちぎりの無能うんこちゃん(45歳)です。百歩譲って仕事に行こうと思って家を出たとしても、自分の足は脳の命令を聞かずに心の命令を聞いてしまう仕様となっており、職場に行かずにそのままミニ旅行に出てしまいます。脚の神経からして社会不適合者仕様です。 若かったわたしはそのような状況になるたび、たとえば電車に乗っている理由を「職場に行く」から「ミニ旅行に行く」に変更したとたん、鎖が解けたように自由になったと感じたのを覚えています。その瞬間、いきなり地球上のいかなるスポットもが目的地として設定可能な状況となり、自分を起点として職場にしかつながっていなかった線が、とつぜん無限大にどこにでもつながったのを感じました。ブラジル、マレーシア、沖縄、TSUTAYA…!

!と思ってしまうのを止められません。でも、この世って本当に、そんな人でもこうして死なずに生きていけるのですよね。陸がダメなら海があるってな感じで、この世には陸にしか生息できないと思いこんでいる人たちにはまったく見えていない、広大な世界が広がっているのだといつも思います。 自分は決死の覚悟というかゾンビ化覚悟で社会のレールから外れましたが、それはわたしに「死海に飛び込んだら死ぬのだろうと思ったら逆に浮いてしまって死ねなかった」というような最強に嬉しい思い込み破壊のサプライズをくれました。その喜びが、自分を現在のようなクソガキにしました。外れても生きられると知ったときの喜びには、あっちゃ~いいんですね? !ほんじゃお先に失礼しま~すという「いち抜けた感」と、お葬式で笑ってはいけないと思うとますます可笑しくなってしまうときのようなクソガキの笑いの素が入っていて、これはわたしが自分の人生を愛する最大の理由のひとつです。圭吾さんは、このあたりについてどんな感覚をお持ちですか。 ああ、中身のないような好き勝手な話を書いていたら、こんなに長くなってしまいました。海賊仲間の圭吾さんが少しでも楽しんでくだされば幸いです!葬式で笑いをこらえている、死海に浮いたゾンビより。愛を込めて! !